大判例

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東京地方裁判所 昭和50年(人)1号 判決

請求者 甲野花子

右代理人弁護士 中島通子

同 水嶋幸子

同 安武幹雄

被拘束者 甲野正

右代理人弁護士 海谷利宏

拘束者 甲野太郎

〈ほか二名〉

右拘束者ら代理人弁護士 鹿野琢見

同 岩田洋明

同 円城寺宏

右拘束者甲野太郎代理人弁護士 鹿児嶋康雄

同 高梨孝江

主文

一  請求者の請求を棄却する。

二  被拘束者を拘束者らに引渡す。

三  手続費用は請求者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求者

1  被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

2  手続費用は拘束者らの負担とする。

二  拘束者ら

1  本案前の申立

(一) 請求者の請求を却下する。

(二) 手続費用は請求者の負担とする。

2  本案についての申立

主文一、三項と同旨

≪以下事実省略≫

理由

一  先ず拘束者らは、本件請求は人身保護手続本来の目的を逸脱し、権利の濫用に当るから却下されるべき旨主張するが、これを肯認するに足りる資料は存しないから右主張は採用のかぎりでない。

二  そこで進んで本件請求の当否について判断するに、請求者と拘束者太郎が昭和四六年七月二四日婚姻した夫婦であり、被拘束者が翌四七年九月二〇日出生した右両名の長男であること、昭和四九年九月五日、請求者が被拘束者を連れて、当時親子三人で生活していた東京都渋谷区○×丁目××番××号―×××の都営アパートを出て請求者の現住居に転居したこと、同年一一月九日、被拘束者は拘束者太郎によって請求者のもとから連れ去られ、同日以降現在に至るまで拘束者らの現住居において拘束者らによって養育されていること、昭和四九年一〇月二三日、請求者が拘束者太郎を相手方として、東京家庭裁判所に離婚の調停を申立てたが、右調停は昭和五〇年二月二四日不調となったこと、以上の事実については当事者間に争いがない。

また、≪証拠省略≫によれば、東京地方裁判所において、請求者と拘束者太郎との間に拘束者太郎を原告とし、請求者を被告とする離婚訴訟が係属中であることが認められる。

右事実によれば、被拘束者は現在満二才八ヶ月余の意思能力のない幼児であること、被拘束者が、請求者と拘束者太郎の両名の共同親権に服すべき関係にあることおよび現在において既に請求者と拘束者太郎との夫婦関係が破綻に瀕していること明らかである。

そして、拘束者らが、意思能力のない幼児である被拘束者を膝下において監護養育することは、当然に被拘束者に対する身体の自由の制限を伴うから、それ自体、人身保護法および同規則にいう拘束に当るものと解すべきであり、また夫婦関係が破綻に瀕している場合に、夫婦の一方が他方に対し、人身保護法にもとづき共同親権に服する幼児の引渡を請求する時には、人身保護法による救済の要件である拘束の違法性は、幼児を夫婦のいずれに監護させるのが幼児のために幸福であるかを主眼として判断されるべきである(最高裁昭和四三年七月四日第一小法廷判決、民集二二巻七号一四四一頁参照)。

三  そこで、本件において拘束者らの被拘束者拘束の違法性について検討する。

1  請求者が拘束者太郎と別居し、被拘束者を請求者の現住居に連れ去つた経緯および被拘束者に対する監護養育状況

≪証拠省略≫によれば、請求者が昭和四九年九月五日被拘束者を連れて拘束者太郎と別居するに至ったのは、請求者自身が拘束者太郎との離婚を決意したためであること、その際、請求者は、拘束者太郎と何ら前もって別居、離婚につき相談することなく突然に置き手紙を残したのみで右別居を決行したものであること、その後被拘束者は請求者の現住居において、請求者および三人の保母によって監護養育されていたこと(なお、昭和四九年一〇月一日に、請求者の現住居の一階部分に保育園が開設され、被拘束者は同日以降請求者不在の間は、右三名の保母により、園児として監護養育されていた)が認められる。

2  被拘束者が請求者のもとから拘束者らのもとに移された経緯

≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

拘束者太郎は、請求者が被拘束者を連れて家出をした後、請求者らの行方を捜し続けた結果、請求者らの居場所を突き止め、昭和四九年一一月九日午後三時ころ、請求者の現住居を訪れ、同人の家出の件や別居中の生活のことなどについて話し合った。途中から請求者および拘束者太郎の共通の友人である請求外乙山次郎、月子夫妻も加わり、四人で午後七時ころまで話し合ったが、拘束者太郎は、請求者が席をはずした際に被拘束者を抱いて同人を連れ出した。請求者は、被拘束者が連れ去られたのを知り、拘束者太郎の後を追ったところ、請求者宅から五〇〇メートル位離れたところで拘束者太郎に追いつき、被拘束者をめぐって、拘束者太郎との間で言い争い、さらにもみ合いになった。途中警察官も来て、両者を仲裁したが、結局前記乙山夫妻の家で、同人らを交えて被拘束者のことについて話し合うことになり、その夜は、右夫妻宅に、親子三人で泊り、翌日にわたって話し合を続けた。その結果、請求者と拘束者太郎は、家庭裁判所において被拘束者の親権者が最終的に定められるまでの間の暫定措置として、向う三ヶ月間は、拘束者太郎が被拘束者を監護養育する旨合意し、同日、請求者と拘束者太郎は共に、被拘束者を連れて、横浜市内の拘束者らの現住居に赴き、請求者は被拘束者の監護養育を拘束者らに託した。

なお、請求者は、右合意は、請求者の自由な意思にもとづくものではなく、拘束者太郎の脅迫によってなされたものである旨主張するが、右認定の事実からすれば、請求者から拘束者らに対する被拘束者の引渡しは、結局において両者の合意にもとづき、平穏に行なわれたものと認めるのが相当である。

3  その後の拘束者らと請求者の交渉の経緯

≪証拠省略≫によれば、被拘束者が拘束者らのもとで監護養育されるようになった後、請求者は、昭和四九年一一月一六日から翌五〇年三月一六日に至るまでの間、およそ一〇回にわたって拘束者らの現住居を訪れ、被拘束者に面会したこと、前記離婚調停は請求者が、現時点における養育環境等に関する調査官の調査にもとづいて親権者を定めるという調査の方法、範囲に不満を述べたため、昭和五〇年二月二四日不調になったこと、が認められる。

4  拘束者らのもとにおける被拘束者の保育環境

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

被拘束者が現在生活している、拘束者らの現住居は昭和四七年八月に新築され、それ以来拘束者一郎、同星子が居住しており、(拘束者太郎は昭和四九年一一月一〇日から居住している)周囲は住宅地である。敷地は約二五〇平方メートル、建物は平家で約八〇平方メートルの広さがあり、ここに拘束者一郎、同星子夫婦と拘束者太郎、被拘束者の四人が生活している。拘束者太郎は、現在○○大学経済学部大学院の博士課程に在学中で、日中は、日曜日を除き渋谷区内の前記アパートもしくは大学の研究室において勉学、研究に従事するものの、寝泊りはもっぱら拘束者らの現住居でなすのを例としている。拘束者一郎は、拘束者太郎の父で、○○○○銀行、○○銀行を通じ銀行員生活三七年の後、現在○○銀行の子会社である○○商事株式会社の取締役をしている。平日、拘束者一郎、同太郎が外出した後は、被拘束者は、祖母で現在五二才の拘束者星子と二人だけになるが、近所のほぼ同年令の子供達と遊んだり、好天の日には、拘束者星子に連れられて、近くの公園を訪れるなどして過ごしている。被拘束者の食事や身の回りの世話は、主として拘束者星子が当っているが、拘束者太郎も被拘束者を入浴させ夜は共に寝るなどの世話をし、また拘束者一郎も常日頃被拘束者の養育に気を配っている。

また被拘束者自身も、拘束者らのもとにおける生活に馴染かつ、拘束者らになついている。

拘束者一郎の年収は約三〇〇万円であり、拘束者太郎の収入も、現在奨学金および家庭教師や学習塾の教師としての収入を合せ一ヶ月一〇万円以上に上る。

5  請求者のもとにおける被拘束者の保育環境

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

請求者は、昭和四九年九月現住居を家賃月額一〇万円で賃借し、右住居の一階部分を一ヶ月七万円の賃料で保育園「○○○○○の家」に転貸している。右建物は木造二階建で、延べ一一三平方メートルの広さがあり、一階部分は、六畳一間、四畳半三間、三畳一間と台所、風呂からなり、二階部分には、六畳一間、四畳半二間、三畳一間があり、右一階部分のうち北側の四畳半一室を除くその余の部分を右保育園が使用している。二階部分は、四畳半一室を右保育園の保母であるAが居室として使用しており、六畳一部室を請求者が使用し、残りの四畳半一部室は、将来における被拘束者の勉強部室に予定されており、三畳一部屋は物置として使用されている。

請求者は、現在○○区立○○中学校に勤務し特殊学級を担当しており、毎朝午前七時半ごろに家を出、午後五時ごろに帰宅している。

被拘束者は日中請求者不在の間は、前記保育園「○○○○○の家」で、他の園児と共に監護、保育されることになる。右保育園は、昭和四九年一〇月一日開設されたもので、責任者であるA(二五才)、のほかB(二二才)およびC(二四才)の三人の有資格の保母を擁し、現在一〇名の園児が保育されており、園児達の保育時間は、原則として午前八時から午後六時までであるが、特別に前後三〇分延長することもある。右三名の保母達は、子供達が自由に伸び伸びと生活することのできる様な家庭的雰囲気に満ちた保育園づくりをめざしており、右保育園は、現在、既に、広さ、保母の数において保育施設として要求される基準をほぼ満しており、近く○○区から、月額約一三万五〇〇〇円の補助金を支給されることになっている。

請求者の現在の収入は、年額二一〇万円ぐらいで、支出は部屋代が月額三万円、被拘束者を引きとることができれば前記保育園に対し毎月二万五千円の保育料を支払うことになる。

6  請求者および拘束者太郎の性格および両名の夫婦関係が破綻するに至った原因

請求者ならびに拘束者らは、互いに相手方に、被拘束者を監護養育するに適しない性格的な欠陥がある旨主張するが、本件に顕れた疎明のみによっては、ただちに右事実を認めることはできない。

また、請求者ならびに拘束者太郎は、両者間の夫婦関係が破綻するに至った有責原因が互いに相手方にあると主張するが、その責任がいずれ側にあるかは、本件において顕れた疎明のみではにわかに判断しがたく、右の点はいずれ両者間の離婚訴訟において判定されるべきものである。

右1ないし6に認定判示の事実から窺われる諸事情就中拘束者らのもとにおける被拘束者の現在の生活環境は、拘束者太郎が未だ学生の身で、その収入も臨時的要素が強く、又自己の勉学研究のため始終被拘束者の世話をすることはできず、主として祖母である拘束者星子がその世話に当らざるを得ないという点はあるものの、既に六ヶ月余の同居生活を通じ、被拘束者自身も拘束者らのもとにおける生活に馴染み、かつ拘束者らになついて一応安定した生活状態にあり、請求者が拘束者を引き取り養育すべく予定している前認定の生活環境に比し、被拘束者の幸福の見地からして(後者は実母の膝下という点で優れているが、前者にも幼児期の成長に不可欠な生活環境の安定性、連続性を維特できるという長所がある)、現時点において格別劣るものとは認められないことおよび請求者から拘束者らに対する被拘束者の引渡が双方の合意に基づいて平穏裡に行なわれたこと等からすれば、拘束者らによる被拘束者の拘束に顕著な違法性が存するとはいえないと断ぜざるを得ない。

四  してみれば請求者の本件請求は理由がないこと明らかであるから、これを棄却し、手続費用の負担につき、人身保護法一七条、同規則四六条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鈴木潔 裁判官 水沼宏 西岡清一郎)

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